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大阪高等裁判所 昭和30年(う)100号 判決

控訴人 原審検察官 児玉末治郎

被告人 椙原義之

検察官 山本諌

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

検察官の控訴趣意について

原判決において、「被告人が軽二輪自動車に乗車し原判示関西線新在家踏切を通過するにあたり、遮断機が開放されてあることをもつて安全であることを信じ一時停車しなかつたことは、同踏切における警戒施設や服務規律にてらし、道路交通取締法第一五条但書にいわゆる「信号機の表示により安全であることを確認したとき」にあたるものであるから、同法第二九条に該当しない」旨判定し、被告人を無罪としたことは所論のとおりである。

ところで同法第一五条本文において「車馬または軌道車は、鉄道または軌道の踏切を通過しようとするときは、安全かどうかを確認するため、一時停車しなければならない。」と規定するゆえんのものは、汽車や電車がその高速度による大量輸送の面において卓抜せる反面、踏切における突発事故防止についての機動性がきわめて少い点を顧慮し、踏切においてはこれを通過しようとする車馬等をして、一時停車のうえ安全かどうかを確認させたのち通過させ、もつて万一の接触事故の発生の絶滅を期するにあつて、かくのごとく、徐行による確認方法を認めず、必らず一時停車すべきことを命ずるような画一的措置が、道路上における車馬等の交通を甚だしく阻害するにかかわらず、法があえてこれを犠牲にして一時停車を強行しているのは、単に事故発生の蓋然率の減少だけを意図したものではなく事故の根絶を期しているものと解するを相当とする。このことは同条但書において一時停車義務の除外例を設けるにあたり、信号機の表示、当該警察官もしくは警察吏員、または信号人の指示等により安全であることを確認した場合のごとく観念上通過が絶対安全であることを確認するに足る場合のみを例示している点からも窺知できるところである。

原判決は、同条但書にいわゆる信号機とは、同法施行令第一条第四号所定の「進め」「注意」「止れ」の信号の全部を表示しない遮断機でも、それが適正に操作されるかぎり、いわゆる信号機と解するに妨げないと説明する。しかし本件のごとき鉄道踏切における遮断機は、汽車等の進行を支障なからしめるため鉄道側の設置管理する保安設備であつて、一般横断者の安全が保持されるのはその反射的効果に過ぎず、道路を通行する車馬等の安全保持を本来の使命とするものではない。それ故に遮断機の閉鎖していることは、進行する列車に対し安全通過を担保する反面、横断車に対しては「止れ」の信号を表示していることは明白ではあるが、逆に遮断機が開放されていることは、横断者に対し「進め」の信号を表示しているものとは、必ずしもいうことができない。

けだし踏切警手または遮断機の故障のため、遮断機が開放されている場合にも汽車電車が踏切を進行通過することが絶無でなく、踏切を横断するものにおいてこれを待避停止するを要する場合が存するからである。

本件記録によると、本件踏切は人的物的設備が相当完備していること原判決の説明するとおりである。しかしそのように完備した設備のもとで、列車が予定通過時刻に通過し、運転士に少しも過失のない場合にあつても、警手の仮睡、怠慢その他注意弛緩等のため所定措置を採らなかつた場合、警手が待機時以外に踏切場所を離れ突発事故等のため列車通過予定時刻までに所定位置に帰れなかつた場合、その他設備の故障等のような稀有の原因により、列車通過時に遮断機が閉鎖されないことも、理論上想像できるところであるし、少くとも記録上はかかる事例の絶無であることを肯定させる資料は存しない。

ところで、同法第一五条但書の一時停止義務の例外として安全確認資料の指示となり得るがためには、信号機の場合においては少くとも「進め」の表示が存在することを要するものと解すべきこと性質上当然であるのにかかわらず、本件遮断機の開放が、理論上は必ずしも「進め」の信号を意味しないこと前記のとおりであり、しかも同条の意図するところが、単に事故発生率の減少にあるのではなく、万一の不測の事故をも根絶するにあるものと解すべきこと前段説明のとおりである以上、遮断機開放の事実だけをもつて、同条但書にいわゆる安全であることを確認したときに該当するものとは云うことができない。

従つて原判決が本件のごとき程度の設備職制により操作される遮断機の開放をもつて同条但書にいわゆる安全確認資料たり得るものとして、同条本文の一時停車義務の例外と認め、被告人を無罪としたのは失当であつて論旨は結局においてその理由あるに帰する。

よつて刑事訴訟法第三九七条第三八〇条第四〇〇条但書に従い、原判決を破棄し自判すべきものと認め、さらに裁判をする。

被告人は昭和二八年一二月二六日軽二輪自動車を運転中大阪市東住吉区桑津町六丁目一一番地先関西線新在家踏切で、法定の除外事由がないのに一時停車しなかつたものである。

右事実は、

一、司法巡査永山敬一作成にかかる道路交通取締法違反被疑事件報告書

一、被告人の原審公判廷における供述

により、これを認める。

よつて道路交通取締法第一五条本文第二九条第二号罰金等臨時措置法第二条(罰金刑選択)刑法第一八条を適用して、主文第二項以下のとおり判決をする。

(裁判長判事 万歳規矩楼 判事 国政真男 判事 梶田幸治)

控訴趣意

本件公訴事実は、「被告人は昭和二十八年十二月十六日自動車を運転中大阪市東住吉区桑津町六丁目十一番地先関西線新在家踏切で法定の除外事由がないのに一時停車しなかつたものである」と謂うのである。

これに対し原審裁判所は被告人が右日時軽二輪自動車に乗用して右踏切を通過するに当り一時停車をしなかつたことは当公廷に於ける其の旨の自白により明であるところ被告人は其の理由として右踏切には(一)信号人が居合せたが、別段被告人の通過を制止せず(二)予て装置せられて居る遮断機が開放せられて居つて通過を禁止して居らず(三)先行の他の自動車も一時停車をせずに無事通過するので安全であると信じたによる旨弁疏するとしてその当否につき判断をなし結局本件踏切に於ける警戒施設や服務規律に鑑みると此処に装置せられた遮断機が開放せられた状態にあることは踏切通過の安全性を表示するものとして相当信頼するに足るものがあり従つて前記日時被告人が本件踏切を通過するに当り遮断機が開放せられて居ることを以て安全であると信じたことが道路交通取締法第十五条但書に所謂「信号機の表示により安全であること確認した」とあるに該当するとして無罪の言渡をした。

然し右判決は道路交通取締法第十五条の解釈を誤り罪となるべき事実を罪とならざるものとした違法がある。破毀を免れないものと思料するので以下その理由を開陳する。

第一鉄道踏切道に於ける遮断機が道路交通取締法の信号機と云い得るかにつき考覈するに道路交通取締法第十五条但書に謂う信号機は道路交通取締法施行令第一条第一項第四号に規定された「人、機械又は電気により操作され道路の交通に関し進め、注意又は止れの信号を表示する装置」であつて同法第一条及同令第二条の規定と相俟つて道路に於ける危険防止及その他の交通の安全を図る為にこれに直面する車馬又は軌道車に対し直接に進め、注意又は止れの表示を為すのみならず同令第四条により公安委員会又はその委任を受けた者のみが設置し又は管理しているものであることを要す。然るに鉄道踏切道に於ける遮断機は日本国有鉄道建設規程、地方鉄道建設規定及踏切道設置標準に基ずき専ら鉄道又は軌道の安全性を確保し旅客又は貨物の運輸を支障なからしめる目的の下に鉄道側が設置し管理する自らの保安設備であつて道路交通取締法第十五条に規定する信号機とは其の名称を異にするが如く其の機能は著しく別異なものと云ひ得べく一般の人、車馬に対する交通の安全性は飽迄第二義的意味を有するに過ぎず即ち反射的作用として生ずるものである。従つてそれが如何に人的並物的設備の完備された遮断機であつても道路交通取締法上の信号機とは称し得ない。因みに日本国有鉄道建設規程等前掲諸規程中にも遮断機と信号機は明らかに区別して使用されて居り軌道車間に指示を与える信号機の設置規定の存在は認められるが一般の人又は車馬の交通の為に設置するそれの規定は存在しないし又設置されていないこの事より推論するも遮断機は「道路交通取締法の信号機」と云ふを得ない。従つて本件の場合被告人が信号機の表示により安全であると確信して停止しなかつたものであるとして道路交通取締法第十五条但書に該当して相当であるとすることは同法の解釈を誤つているものといはねばならない。

第二更に進んで原審判決認定の如く本件踏切が相当信頼するに足るものであり従つて遮断機の開放せられている事実其の他被告人の原判決が摘示する如き弁疏の事由により道路交通取締法第十五条但書に云ふ「その他の事由により安全であることを確認した」場合に該当するや否やにつき検討する道路交通取締法第十五条は其の本文に於て鉄道又は軌道の踏切を通過せんとする車馬又は軌道車に対し安全であるかどうかを確認するため一時停車の義務を命じていて安全確認の為にする徐行措置を認めていない。蓋し高速度を伴ふ汽車等に対しては徐行による安全確認の方法は不確実であるので不適当として之を許さず必ず踏切道の手前に於ける一時停車による安全確認の方法を命じているものと解せられる。然し乍ら一時停車義務を墨守せしむることに実益を伴はない場合の存する場合あるを慮り同条に但書を設けて之が除外事由を規定しているがその趣旨は飽迄通行の安全確認の為にする一時停車の実益が主観的並客観的に不必要の場合であつて判決に謂ふが如き車馬の円滑なる通行の阻害を虞れての趣旨ではないものと解す。斯るが故に但書の解釈適用に当つては余程慎重な態度で臨み苟しくも其の本文を没却せしむるが如きこと無き様厳格にして正鵠を得た解釈を為さるべきものと思料する。右但書規定の内「その他の事由により安全であることを確認したとき」の「その他の事由」とはそも如何なる場合を法が予定しているかは具体的事案により判断を為すべきであるが、例えば平野の如き極めて遠距離迄見透の利く場所であつて何人と雖も一時停車の必要なく通行の安全を五官の作用により直接的に自ら確認され得た場合で一時停車の実益寸毫も存在しない場合を意味することは疑のない処である。斯る観点より本件を考察するに先ず本件現場の左右即列車通過に対する見透しは検証調書(記録第五四丁乃至第五五丁)によると「北から南へ向つて通過する際踏切の西側(右方)に就いての見透しは密集した人家などに視野を阻まれ約二十米程度しか可能でない東側(左方)に就いては約二百米程度迄は見透が可能である」とあつて其の基点を知るを得ないが大阪市警視庁田辺警察署詰交通巡査井上勇吉の現場の調査結果報告書(記録第三一丁)によれば「本踏切を大阪より奈良方面に進行する場合道路の両側は人家が稠密し上下列車に対する見透しは全く不可能であり図中B点(道路の中心にて最外側軌条より約五米地点)に立つて左右の見透しを点検するに右側の上り列車に対する見透しは警手小屋に遮られて約十米である左側の下り列車に対する見透しは約二百米が可能である」とあるので孰れにしても本件被告人の通過した当該踏切の見透状況は一時停車によらなければ其の安全を確認するを得ない見透不十分な地点であると謂ふを得る而して被告人が安全であると確認した地点については公判記録上之が明確化されていないので知るを得ないのであるが第二回公判調書中(第二二丁)の「前方十五米位にてトラツクが通過して走行して居りました」とある外何等この点に関する供述なき点並徐行措置を採つた事実の無い点等よりして本件踏切の北方約十五米地点に於て踏切道の通過の安全を認めたものであつて爾後踏切道に至る迄その左右への注視を為さず当該踏切を通過したものと論断することが出来る次に「信号人が居合せたが別段被告人の通行を制止せず」と被告人は弁疏すと原判決にあり其の文意稍曖昧であるが第二回公判調書中(第二二丁)の「踏切に警手の姿は見受けませんでしたが踏切番小屋の中に当然おるものと思つて居りました」と被告人が供述しているので犯時踏切警手が一般の人、車馬に対し当該踏切に於ける通行の安全性を確保していた事実は看取されない況んや被告人に対し之が通行を制止するを得ないのは当然である。尚又被告人の認めた「先行の他の自動車も一時停車をせずに無事通過した」との事実は何等被告人が当該踏切通過時に於て其の通行の安全性を保証するものではないことは論ずる迄もないので畢竟本件は踏切道に於ける遮断機の開放状態の確認を通行の安全と認めた事が「其の他の事由」に該当するか否かにあるので之につき論及せんに道路交通取締法第十五条の一時停車の規定趣旨からは如何に安全な鉄道側の設備があつてもそれのみに依頼して踏切道を通過し得るものとは断じ得ない寧ろ踏切道に於ける車馬の通行は道路交通取締法規の定めるところにより通行の安全を確かめて通過すべきことを義務付けているものでこれは如何に完備された遮断機と雖もそれは鉄道側の保安設備に過ぎず然も人により操作されるものであるのでそれが早期開放若しくは未閉鎖又は降下遅延或は降下不適当等による鉄道側の過失に起因する事故の発生を考慮し完全なる事故防止には鉄道側の諸施設と通行者側の注意義務との両面より之が完璧を期し事故の絶無を計つているものと解するを正当とする原判決に「当踏切の設備や職制を以てしても所詮は人によつて運営せられることであるから絶対の安全を保し難い」と一抹の危惧あるを認定し乍ら暗に法の不備を難じて本件踏切の遮断機の開放状態を安全であると判示して被告人の主張を容認したのは道路交通取締法規の立法趣旨を看過して為されたものであると云はねばならぬ。之を要するに何れの観点よりするも被告人の認めた事実からは道路交通取締法第十五条但書に云ふ「その他の事由により安全であることを確認した」場合に該当しない。

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